昨晩は娘とふたりで近くのCostcoへ。買い物を済ませ、ショッピングカートを戻した先にこんなステキな感じで花が咲いていました。ということで、娘と一枚。罪のはびこるこの暗やみの世にあっても、神様の被造物の美しさは輝いています。罪のない神の国(天国)においてはどれだけすばらしいことでしょう。待ち遠しい!
明日の主日礼拝(8/6)では、ヨハネによる福音書6章30-50節から「わたしがいのちのパンです」という題でメッセージを語ります。カリフォルニア時間の日曜朝10時からとなります。
ライブ配信(YouTube)による礼拝→クロスウェイ メッセージ(音声)はこちら→ホームページ ヨハネ6:30 そこで彼らはイエスに言った。「それでは、私たちが見てあなたを信じるために、しるしとして何をしてくださいますか。どのようなことをなさいますか。31 私たちの父祖たちは荒野でマナを食べました。『彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」32 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。33 というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」34 そこで彼らはイエスに言った。「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」 6:35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。36 しかし、あなたがたはわたしを見ながら信じようとしないと、わたしはあなたがたに言いました。37 父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。38 わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。39 わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。40 事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」 6:41 ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から下って来たパンである」と言われたので、イエスについてつぶやいた。42 彼らは言った。「あれはヨセフの子で、われわれはその父も母も知っている、そのイエスではないか。どうしていま彼は『わたしは天から下って来た』と言うのか。」43 イエスは彼らに答えて言われた。「互いにつぶやくのはやめなさい。44 わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。45 預言者の書に、『そして、彼らはみな神によって教えられる』と書かれていますが、父から聞いて学んだ者はみな、わたしのところに来ます。46 ―だれも父を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。 6:47 まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。48 わたしはいのちのパンです。49 あなたがたの父祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。50 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。 今年もはや8月を迎えました。日本では、これから夏といった感じでしょうか?アメリカでは、もう一週間もしたら、新学期が始まる学校もあり、夏ももう終わりという感じです。さて、今週は子ども達のさんぱつをしました。素人の私が2時間、髪を切り続けるのは(特に一日の終わりに)、本当にへとへとになります。特に老眼も進む今日この頃、子ども達の背丈も伸びて、毎回何かと調整が強いられます。自分の衰えも思わされるばかり(笑)。ただ、そうはいっても、主によって生かされている限り、日々主にある喜びと感謝と希望をもって全力で歩むだけ。昨日の休みは、朝からクローゼットの片付け、午後は車のSmog Checkや買い物など、あっという間に時間が過ぎました。でも、夜には子ども達とファミリー映画会をもつことができて感謝でした。霊肉ともにいつも私たちの必要を満たして下さる主に心から感謝します。今週も後半に入りました。日々主を待ち望みつつ、主にお仕えする者でありたいですね。ハレルヤ&マラナタ!
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Authorロサンゼルスの最北端の町サンタクラリタに住むキリスト教会の牧師です。一昔前にCOCで学生をしていました。まさか、再びこの地に戻ってくるとは! CategoriesArchives
May 2024
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