今日のメッセージはこちら→クロスウェイ教会
今日の礼拝では、ピリピ人への手紙4章1-9節から「いつも主にあって喜びなさい」という題でメッセージを語りました。私たちは、いつも主にあって喜ぶことのできる幸いを思いつつも、同時に思い煩うことがあることも現実ではないでしょうか?それが人間関係の問題であれ、他の問題であれ、主にあって喜ぶことが難しいと思えるようなことはたくさんあります。でも、そのようなただ中で、私たちの心に平安が与えられるとしたら、どうでしょうか?「大丈夫、心配しなくてよい。私が責任を取るから」といって、すべてのことを働かせて益としてくださる力強い方がともにいて下さるなら、どうでしょう?
今日のメッセージはこちら→クロスウェイ教会
0 Comments
私たちの教団には、合計16ほどの教会が、ハワイ、北カリフォルニア、南カリフォルニア、アリゾナ(ツーソン)にあります。その教会の牧師たちが、年に一度、この時期に集まり、ともに神様を礼拝し、祈り合い、交わり、話し合い(決議事項を行い)、楽しむ、それが毎年、三泊四日でもたれるこの牧師リトリートです。
ここ数年、教団内での責任が増えつつある私ですが、「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」とはっきり言える者、いつも主の召しと導きを求めつつ、どこまでも私の救い主であり、また主であられるイエス様に忠実な者でありたいと願わされています。足りなさを覚えることが多いですが、それは学ぶところが多いということですから、主がご自分のもと(天)に召してくださるまで、学ぶ心を忘れない者でありたいと思います。祈りに覚えていただけたら、幸いです。 私の留守中、私の母が日本から来て、家族をヘルプしてくれました。必要な助け手が与えられ、ただただ感謝! 毎年この時期にもたれているリーダーズリトリートに初めて参加しました。教会のリーダー(長老)でありながら、初めての参加というのは矛盾のようですが、私たちの教会は英語部と日本語部から成り立っていて、この数年は、日語の方にリーダーたちがいなかったことや私の家庭の事情など、またすぐ次の週に教団の牧師リトリートがあることなど、いろんなことが重なり、これまで参加できずにいました。でも、今年度は新しく4人の執事たちを立てることができたので、彼らとともに参加したのです。私たちは一日だけの日帰りでしたが、英語部の方たちにもとても喜ばれ、みな幸いな時をもたせていただきました。このリトリートの目的の一つに、分かち合いやともに楽しむ時を過ごすことで、お互いの関係を建て上げ、それが良いチームにつながるというものです。直接会って話すよりも、テキストやメールで連絡をとりあうことの多い、今の時代にあって、このように同じところ、同じときを過ごすことの幸いをあらためて教えられました。ハレルヤ!
今日の礼拝では、ピリピ人への手紙3章12-21節から「私を見ならう者になってください」という題でメッセージをしました。「私(人)を見ずに、神様を見て下さい」とクリスチャンが言うのを聞いたことがあると思います。それは人間的なすばらしさや、その反対の足りなさを見ていると神様が見えない(わからない)といった意味だと思いますが、神様はクリスチャンたち(教会)を通してご自分の栄光を現わすことを御心としておられるのも事実です。そういう意味で、私たちもまたパウロのように自分を見ならう者になってくださいと言えるほどに、キリストへの信仰に生きるべきだと思うのです。それは自分のがんばりが先立つものではなく、キリストの十字架の恵みによって赦され、神の子とされ、聖霊を受けている者として、どこまでもキリストを信じる信仰によって生きるものです。自分で信仰をもっていると言うに留まらず、イエス様への信仰を神様に認めていただくことを目ざしたいと思います。今日のメッセージ→クロスウェイ教会 今年の妻のバースデーは、日曜日であったのと(その前に泊まりで新年聖会に出かけたのもあって)、また妻の偏頭痛があったので、数日遅れで祝いました。 でも、残念なことに、オレンジカウンティーのある韓国系グローサリーストアーで買ったケーキは、時間が経過していたからか、もともとこんなものなのか、味がちょっと古い感じでした...(泣)。 でも、感謝なことに、子どもたちは全く気にする気配もなく、おいしそうに食べていました(あれ?)。 こうして4度も産みの苦しみをし、今も毎日奮闘しながら子育てをし、妻としても私に良くしてくれる彼女に心から感謝しています。また何よりも、私たちが弱さや足りなさを覚える時でも、いつも私たちの真ん中に立って導いて下さる神様に心から感謝し、その御名をほめたたえます。皆さんも、いつもサポートして下さってありがとうございます。 今日の礼拝では、ピリピ人への手紙3章1-11節から「主にあって喜びなさい」という題でメッセージを語りました。使徒パウロが、キリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っていると語っているところです。今回、このところを準備するにあたり、その冒頭で、パウロが「主にあって喜びなさい」というところから、その後の内容が続けられていることに気づかされました。主にあって喜ぶこと、そして、その喜びを奪おうとする存在に気をつけることは、私たち信仰者にとっての安全になるとパウロは言います。神の御子がご自分のいのちをささげてまでして、罪と滅びの中から贖って下さったこのいのち、日々、この主にあって喜ぶ者でありたいです。 今日のメッセージはこちら→クロスウェイ教会 今年も私たちの教団(北米ホーリネス教団)の南カリフォルニア新年聖会がもたれました。私は最初の聖会で司会の奉仕をさせていただきましたが、10年牧師をしていても、やっぱり人前に立つのは苦手だと思わされました。でも、苦手だからといって、何もしないなら成長はありません。そういう意味で、このような機会を通しても、自分の悟りではなく、神様により頼むことで自分の小さな殻の外に出られることは恵みだと思います。
今回は日本の愛媛からA牧師に来ていただいて、メッセージを取り次いでいただきました。私は子ども達のケアーがあったため、集会三回中、最初の一回しか出られませんでしたが、また音声メッセージが届きましたら、教会ホームページにアップする予定です。
|
Authorロサンゼルスの最北端の町サンタクラリタに住むキリスト教会の牧師です。一昔前にCOCで学生をしていました。まさか、再びこの地に戻ってくるとは! CategoriesArchives
April 2024
|