今日の礼拝では、使徒の働き5章33‐42節から「もし神から出たものならば」という題でメッセージを語りました。再び捕らえられた使徒たちが、もう少しでユダヤの指導者たちに殺されるというところに、ガマリエルという人が他の指導者たちを説得して、彼らが釈放されるというところです。驚くべきは、釈放された時に、弟子たちは、むちで打たれましたが、そのことを通して、彼らはイエス様のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜んだということです。それほどにイエス様のすばらしさを彼らが知っていたということです。 今日のメッセージはこちら→クロスウェイ教会 |
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今週は、立て続けに大切な人、二人が亡くなりました。水曜には友人(先輩)が、昨日は母方の祖母が召されました。きちっとグリーフの時をもちたいと思いつつも、次から次へとやるべきことがあるので、すぐには無理そうです。でも、こうしてブログに書くことで、少しずつその現実を受け入れていきたいと思っています。もちろん、悲しみがありますが、でも、その分、死と天国がもっとリアルに感じられる今日この頃です。主の慰めを祈りつつ。
Ⅰペテ1:24‐25 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです」 「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです」 聖書(ヘブル9:27‐28)
今朝、聖書学院時代の先輩(42歳)が召されたことを知りました。悪性のリンパ腫で、一年ほど闘病生活を送っておられました。その先輩とは、昨年9月に会うことができ、元気になってアメリカにも来てくださいね(一度は行ってみたいとおっしゃっていたので)とやりとりをし、今回の訪日でもできれば、この月曜日に会うつもりでいました。ところが、病院での検査や実家が名古屋駅から遠いという理由で、今回は難しいかなと言われたので、無理を言うのもと思ってあきらめました。そのメールのやりとりから一週間ほどで彼は先に天に召されて行かれました。イエス様へのその信仰のゆえに、天国に移されたという確信と平安をいただきつつも、でも奥様や息子さんのことを思うと、なんとも複雑な思いでいっぱいです。 さらに今朝、母親からの連絡で、祖母(今回見舞いに行った)が、最期は自宅でということで、一旦帰宅したが、その夜にまた入院した、という知らせを受けました。来月迎えられるかどうかわからない状況とのことです。アメリカに戻る前に祖母に会ったのは、この月曜日。イエス様のこと、天国の希望を伝えたいという願いで急いで日本に行きましたが、ほとんど話もすることができず、また苦しそうな祖母を前にしては、だまって手を握るくらいしかできませんでした。ただ、これまでの感謝だけは伝えようと、最後は涙ながらに「ありがとう」と何度も伝え、帰路に着きました。 人は自分では何でもわかったつもりでいます。自分は強い者、力のある者、救い主なんて必要ないと思います。でも、人は本当に小さな小さな存在。この世界がどのようにして造られ、自分自身も何のために生きているのか、また死んだらどうなるかなど知らないにも関わらず、「神様はいない」と確信をもって言い切れてしまう。自分もかつてはそのような者でした。でも今は、どんどん自分の小ささを思い知らされています。いくらでも意見することはできても、自分が人を変えることはできない。自分さえ、変わろうと思っても変えられない、惨めな者だと...。ただただ神様のあわれみを祈るばかりです。 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16) 家族の待つアメリカの家へと帰ってきました。“Welcome Back“ と子ども達が出迎えてくれ、とてもうれしかったです。やっぱり家族はいいものですね。日本で頂いたお土産、その食べている様子を写真にとって送るようにと言われ、最初の食事の時にいただきました。おいしかったです。これから時差ボケとの戦いが始まります。お祈り下さい。
訪日最終日。今回の旅は、おばあちゃんの見舞いが主な目的だったので、それ以外の予定は日本に行ってから決めました。幸い、東京で、二人の友人たちに会うことができ、互いに信仰の励まし合いを受けることでき、感謝でした。
今日の午前は、平日ということもあって、会う人もいないので、宿泊したホテル(高級カプセル!)の次の駅、浅草でプチ観光。正直、こういうのはあまり興味ありませんが、何事も経験、ということで、ただ立ち寄るような形でしたが観光名所に行ってみました。やはり東京も大阪も外国人がどんどん増えている感じがします。ほとんどは観光でしょうが、長期滞在の方もおられることでしょう。彼らに開かれた教会の存在も必要ではないかと、自分自身、アメリカ留学中に救いにあずかった者として、そんなことをふと考えたりもしました。ということで、もうすぐ成田から、LAの家族のもとに帰ります。 今日のクロスウェイ教会の礼拝では、元やくざで、現在はスモールストーンミニストりーをしておられる井上薫(かおる)牧師をお迎えし、メッセージを語っていただきました。また、奥様の比呂子夫人にはお証をしていただきました。音声はありませんが、原稿はこちら→クロスウェイ教会 コリント人への手紙5:17 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」 去年の父の日に教会でいただいた本を、この訪日を機に、やっと読むことができました。わが家はホームスクールなので、勉強を始める時に、妻が聖書を開いて祈ること、また、寝る前に祈ること(ほとんどは妻、私はたまにだけ)、食事の際は子ども達が祈ることはしていますが、父親である私がリードする家族礼拝というものはしてきませんでした。子ども達がまだ幼いからとか、自分はそのような環境で育ってないからという言い訳をしながら、今日まで来ましたが、これではいけないと強く思わされました。 長男もこの夏に9歳になります。18歳までもう10年をきりました。10年なんて、本当あっという間に過ぎてしまいます。神様に与えられた妻や子ども達との時間を大切にしたいと思います。帰ったら、実践したい。習い事などのスケジュール的に、みなが集まることがだんだん難しくなってきていますが、できない日があっても、これをわが家の習慣にしたいと思います。 おばあちゃんのお見舞いに、入院先の淀川キリスト病院に行ってきました。ちょっと見ずらいですが、大きな十字架がメインエントランスのところにあります。おまけに、駐輪場の端にも、十字架が。おばあちゃんとは、体調のこともあり、あいさつ程度しかできませんでしたが、ちょうど水曜日の午後のチャペルがあったので、それに参加して帰路につきました。右下の写真は、ロビーに飾れていた「病者の祈り」というものです。
病者の祈り~ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた一患者の詩~ 大事を成そうとして 力を与えてほしいと神に求めたのに 慎み深く従順であるようにと 弱さを授かった より偉大なことができるように 健康を求めたのに よりよきことができるようにと 病弱を与えられた 幸せになろうとして 富を求めたのに 賢明であるようにと 貧困を授かった 世の人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに 神の前にひざまずくようにと 弱さを授かった 人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに あらゆるものを喜べるようにと 生命を授かった 求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた 神の意にそわぬ者であるにもかかわらず 心の中の言い表せない祈りは すべてかなえられた 私はあらゆる人々の中で 最も豊かに祝福されたのだ 入院中のばあちゃんを見舞うため、急遽、訪日しています。今回は、単身ですが、パパが日本に行くというと、当然、息子たちも(娘はまだわかりません)一緒に行きたいというわけで…それをなだめるために、夕食は彼らの好きな巻きずし(特に長男君の好物)をつくりました。そして、日曜の午後から腹痛を訴えていた妻にがんばってもらい、夜、LAXへ。チェックインした後、時間に余裕があったので、家族を駐車場で見送ってから、深夜便で東京へ。
今回の旅で思わされたこと、それは深夜便は自分にはキツイということ。以前、子ども達といっしょに利用した時もかなりきつかったけど、それは子ども達がいたからと思っていたが、実はそうではなかった。もう深夜便はやめておきます。それにしても、帰国後、そのまま会社に出勤する人々は本当すごいと思う。自分にはできません。 なにはともあれ、無事、大阪に着きました! 今日はイースター(復活祭)です。礼拝では、ルカ24章13‐35節から「ほんとうに主はよみがえられた」という題でメッセージを語りました。主イエス・キリストは、私たち人類の罪を負うことで十字架にかかって死んで下さいました。実にその死は、私たちのための死、罪と滅びから私たちを贖うための死です。でも、聖書に書かれてある通り、またご自分も弟子たちに前もって話しておられたように、三日目に主はよみがえられたのです。そして、弟子たちに現れてくださいました。その復活物語の一つが、今日の箇所です。エマオという村に向かうふたりの弟子たちに、よみがえられた主イエスが出会われたというところです。 今日のメッセージはこちら→クロスウェイ教会 |
Authorロサンゼルスの最北端の町サンタクラリタに住むキリスト教会の牧師です。一昔前にCOCで学生をしていました。まさか、再びこの地に戻ってくるとは! CategoriesArchives
May 2024
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