もう2週間ほど前になるでしょうか。義兄とお友達の「おすすめ」をいただいて、近くのインドカレー屋さんに行ってきました。私はそこまでファンではありませんが、私の妻はカレー好きです。休日、ランチタイムに食べ放題をしているので、家族で行ってきました。体調がすぐれなかったのか、私的には、「たくさんは食べれないな~」といった感じでしたが、妻は「とってもおいしかった」とのことです。働いている人が男の人ばかりで、しかも皆、子ども好き。あまり言葉をかけず、ゼスチャーだけで寄って来られると、ちょっとこちらも困ってしまいますが、日本にも行ったことのあるという一人の人とは、会話が弾みました。驚いたことに、食後に子どもたちをつれてトイレに行った時、たまたま若い男性ウエイターもそこにいて、私の三男を抱っこして彼の手を洗ってくれたこと。「そんなに子ども好きなの!それとも、お国柄?」と、とてもふしぎな感じがしました。彼らとしてはフレンドリーに接してくれたのでしょう。また妻が行きたいと言う時には、連れて行ってあげたいと思います。ちなみに、長女さんは、オレンジが好きだったようで、一度つかんだら、放さない。こちらが取ろうとすると「ギャー!!!」と大声をあげて叫んでいました(笑)。
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今日の礼拝では、コロサイ書3章18-4章1節から「私たちは主キリストに仕えている」という題でメッセージを語りました。私たちは他者の期待にいつも答えることはできません。人々をいつも満足させることはできないのです。だからといって、そのことは無視して、自分勝手な歩みをしなさいと、神様はおっしゃいません。夫婦の関係、親子の関係、職場や自分の置かれているいかなる関係においても、そこで信仰を働かせ、主のことば(教え)に従うことが命じられています。 なぜそうなのでしょう?それは私たちが、主の恵みによって彼のうちにある者、彼によって選ばれた者、聖なる、愛されている者とされているからです。この地上ではなく、天国において永遠の祝福を受け継ぐことを望みとして受けているので、私たちは喜んで主に従うのです。そのようにして、神様はご自身のすばらさし―神様がいかに恵みに富んでおられるか、あわれみ深く、愛のお方であるか―をご自分に属する者たちを通して証されます。ですから、私たちは、他者に仕えているようでも、実は主イエスに仕えているのです。そして、それは主に喜ばれることであり、また私たちにとっても喜びとなります。時に仕えることが困難と思えることもきっとあるでしょう。でも、そのように自分の弱さや欠けを思わされるような時にこそ、主イエスが私たちに仕えるために、この世に来て下さったこと、そして、私たち罪人のために十字架にかかり、その死をもって私たちを罪と滅びから贖ってくださったことの意味を知り、私たちはいよいよ主イエスご自身に近づけられるのです。「キリストがすべてであり、すべてのうちにおられます」。 今日のメッセージはこちら→クロスウェイ教会 今年で77回目を迎えた北米ホーリネス教団の夏期修養会(サンタバーバラ、ウエストモント大学にて)も祝福のうちに終えました。私は昨年からディレクター(主事)としてご奉仕させていただきましたが、とっても大変な中にも、多くのことを学ばせていただき、心から神様に感謝しています。 今年は日本ホーリネス教団から錦織寛師(東京中央教会、東京聖書学院院長)をお招きして、4回のメッセージを取り次いでいただきました。その他にも、朝の祈りの時、スモールグループ、新加入された牧師方の証、午後のオプションなど、プログラムも盛りだくさん。また来年も楽しみです。お祈りとサポートくださった皆様、どうもありがとうございました! 聖会&派遣礼拝の音声メッセージはこちら→クロスウェイ教会 今日は父の日。礼拝は、英語部との合同で行われたため、日本語でのメッセージはありません。今日は、教会学校が、お父さんたちを招待してくれたので、子ども達と時間を過ごすことができました。写真(左)は、父の日スペシャルコーヒーアワーのためのオリジナル巻きずし。写真(右)は、ツマヨウジとマシュマロを使って、子どもたちとタワーを作りました。が、土台がしっかりしていなかったため、倒れてしまいました(泣)。その他にもすばらしい時間を過ごすことができ、感謝な一日でした。今の私があるのも、天におられる父なる神様のおかげであり、地上の父親のおかげです。感謝します!
今日の礼拝では、コロサイ書3章12-17節から「キリストのことばと平和によって」という題でお話をしました。 今日のメッセージはこちら→クロスウェイ教会 コロ3:12-17 「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。13 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。17 あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい」。 今年、教会の一人の青年が軍隊に入隊しました。わが家の子どもたちと甥っ子をとても可愛がってくれていた彼ですが、先日、彼のお父さんを通して、軍人たちが実際にかぶっているのと同じ(という話)帽子をプレゼントしてくれました。なんというサプライズでしょう。それに加え、娘のためにも、洋服をプレゼントしてくれ、彼の優しい心に感謝です。写真を見てわかるように、男の子たちは大喜び。娘の服はまだ大きいので着せていませんが、この写真は、妻がちょっとした遊び心でヘアーバンド(何というのでしょう?)をつけて撮りました(特に意味はありません)。子ども達の近況(?)でした。
今日の礼拝では、コロサイ書3章1-11節から「キリストとともによみがえらされたのなら」という題でメッセージを語りました。先週は、「キリストとともに死んだのなら」と見ましたが、今回は、その死からよみがえらされた私たちは、この世にあってどのように歩むかということが語られています。 【新改訳改訂第3版】1 こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。2 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。3 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。4 私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。5 ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。6 このようなことのために、神の怒りが下るのです。7 あなたがたも、以前、そのようなものの中に生きていたときは、そのような歩み方をしていました。8 しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、10 新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。11 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。 今日のメッセージはこちら→クロスウェイ教会 長女が8ヶ月になりました。本当あっという間に、一ヶ月が過ぎた感じがします。最近は、自分が手にしたいターゲットさえあれば、右でも左にでも寝返りをします。座り方を変えて向きを変え、また、たまに四つん這いでおしりを高く上げることもあります。だいぶ筋肉がついてきたようで、ハイハイする日も近そうです。いつも皆さんの愛と祈りにささえられ、ここまで成長できました。感謝します。ハレルヤ!
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Authorロサンゼルスの最北端の町サンタクラリタに住むキリスト教会の牧師です。一昔前にCOCで学生をしていました。まさか、再びこの地に戻ってくるとは! CategoriesArchives
April 2024
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