今日は、ホームスクールの遠足へ。思ったよりも、花が少なかったのですが、少し残念でしたが、それは時期のせいもあったのでしょう。こういう所は、決して個人では行くことはありませんが、お客さんが来られた時などのために知っておいて損はないので、私も運転手を兼ねて行ってきました。 いくつか私の目に留まった花(名前は知りません…苦笑)をアップしますが、その色、細かさといい、本当に神様はアーティストだな~と思わされます。こんなにキレイなものが、勝手に存在するはずがありません。聖書に、「初めに、神が天と地を創造した」(創世記1:1)とあるように、すべてのものは神様によって、神様のために造られ、また存在しています。そして、その中でも、私たち人間は、他の被造物とは違い、神様のイメージに似せて(霊的、愛する存在)造られました。それゆえに、私たちはただ食べて、寝て、生きているだけでは満足しないのです。その意味、目的を求めるのです。では、その答えは、どこで見つけられるのか?自分自分のうちにはありません。創造主である神様を求めることで与えられるものです。そして、神様とその愛は、イエス・キリストの十字架を通して現されました。 |
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最近、妻がはじめたものは、パン作りですが、私がはじめたものといえば、それはベトナム風サンドウィッチを作ること。少し手間がかかるといえば、かかりますが、中身の具材さえ一度準備してしまえば、あとは、たくさん数が作れるので、その労もあまり気になりません。味の方は、みなおいしいと食べてくれるので、おいしいということにしておきます。フォーは、Costcoで売ってたインスタントに、野菜などを加えたもの。こうして自宅で外食気分が味わえると、なんか得した気分ですね(笑)。今日も必要が与えられて、主に感謝です!
今日は、次男坊の9歳の誕生日で、姉家族と、いつも教会で子ども達に良くしてくれているお兄ちゃん達がお祝いに来てくれました。こうして集まってくれる人々がいるのは、ホント幸いなことだと思います。他の家族のように、盛大なパーティーは開けませんが、息子も喜び、また皆も良き交わりをもてるなら、それに越したことはありませんね。ただ今日の天気予報は雨。ということで、夕食(BBQ)は、昨日のうちに準備しました。自分としては、やはりBBQはその直前にするものと思いますが、まー仕方ないですね。でも、皆さん、おいしく食べてくれたようで良かったです。感謝!すべての栄光を神様に帰しつつ!
今年度のホームスクールも、昨晩の終業式をもって終わりとなりました(夏休み中も多少勉強は続くようですが…そのあたりは妻に任せています)。ということで、長男は5年生、次男は3年生、三男は年長さんを終えました。こちらでは、6年生から中学生というところも多いので、変な感じがしますが、教会では、長男が来月からユース(中高生)のプログラムに加わります。いや~ホント実感がわかないものですね。でも、こうして子ども達の成長を見守ることができるのは何と感謝なことでしょう!神様にも、人にも愛される神の人として、身体だけでなく、心においても成熟に向けてますます成長して行ってほしいと願いばかりです。そのためには、私自身の成長も必要ですが、それは親子ともに協力し合いながら、ということで…。ハレルヤ!
「載せるな!」という妻の反対を押し切り、今回もパンの写真をアップします。妻としては、初めて作るものだし、見た目もよくわからない、というのがあるようですが、私には全く問題なし。味も、おいしかったです。
靴は、三男坊のためにセールで買ったもの。子どもは、特に息子たちは動きが激しいため、あっという間に履き潰してしまいます。蝶々結びをまだ知らない三男君ですが、そろそろ練習してもらうということで…:) 今日の礼拝では、コリント人への第一の手紙7章1-16節から「神の栄光を現わす者として」という題でメッセージを語りました。パウロが、独身、結婚、離婚、再婚について語っているところです。 今日のメッセージは、こちら→クロスウェイ教会 *サンドウィッチは礼拝後のランチ(皆よろこんでくれました!) Ⅰコリ7:1 さて、あなたがたの手紙に書いてあったことについてですが、男が女に触れないのは良いことです。2 しかし、不品行を避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい。3 夫は自分の妻に対して義務を果たし、同様に妻も自分の夫に対して義務を果たしなさい。4 妻は自分のからだに関する権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同様に夫も自分のからだについての権利を持ってはおらず、それは妻のものです。5 互いの権利を奪い取ってはいけません。ただし、祈りに専心するために、合意の上でしばらく離れていて、また再びいっしょになるというのならかまいません。あなたがたが自制力を欠くとき、サタンの誘惑にかからないためです。6 以上、私の言うところは、容認であって、命令ではありません。7 私の願うところは、すべての人が私のようであることです。しかし、ひとりひとり神から与えられたそれぞれの賜物を持っているので、人それぞれに行き方があります。
8 次に、結婚していない男とやもめの女に言いますが、私のようにしていられるなら、それがよいのです。9 しかし、もし自制することができなければ、結婚しなさい。情の燃えるよりは、結婚するほうがよいからです。 10 次に、すでに結婚した人々に命じます。命じるのは、私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。11 ──もし別れたのだったら、結婚せずにいるか、それとも夫と和解するか、どちらかにしなさい──また夫は妻を離別してはいけません。 12 次に、そのほかの人々に言いますが、これを言うのは主ではなく、私です。信者の男子に信者でない妻があり、その妻がいっしょにいることを承知している場合は、離婚してはいけません。13 また、信者でない夫を持つ女は、夫がいっしょにいることを承知している場合は、離婚してはいけません。14 なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです。 15 しかし、もし信者でないほうの者が離れて行くのであれば、離れて行かせなさい。そのような場合には、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとしてあなたがたを召されたのです。16 なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。 |
Authorロサンゼルスの最北端の町サンタクラリタに住むキリスト教会の牧師です。一昔前にCOCで学生をしていました。まさか、再びこの地に戻ってくるとは! CategoriesArchives
April 2024
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