その後、この季節になると現れる、おもちゃ屋を見つけ、そこで遊ぶことに。ちょうど、このおもちゃ楽器が置いてあったところが、人々が行き交う通路から見え、ある女性二人組は立ち止まり、彼らが楽しそうに演奏している姿に驚きつつ、笑顔で私に何か言葉をかけて去っていきました。英語の苦手な私には当然彼女達の言っていることは理解できず、ただこちらも笑顔で応答(笑)。日本では、人と人はあまり目を合わさないように思いますが、こちらでは見知らぬ人でも、すれ違う際などに目が会ったりすると、ニコっと微笑み、「ハイ」や「ハロー」と挨拶します。そういうオープンな感じが私はとても好きです。いつも笑顔を絶やさずにいたい、そう願ってます。
らくだにのった後は、いつものコースで、ディズニーストアーへ。彼らはここが大好きです。
その後、この季節になると現れる、おもちゃ屋を見つけ、そこで遊ぶことに。ちょうど、このおもちゃ楽器が置いてあったところが、人々が行き交う通路から見え、ある女性二人組は立ち止まり、彼らが楽しそうに演奏している姿に驚きつつ、笑顔で私に何か言葉をかけて去っていきました。英語の苦手な私には当然彼女達の言っていることは理解できず、ただこちらも笑顔で応答(笑)。日本では、人と人はあまり目を合わさないように思いますが、こちらでは見知らぬ人でも、すれ違う際などに目が会ったりすると、ニコっと微笑み、「ハイ」や「ハロー」と挨拶します。そういうオープンな感じが私はとても好きです。いつも笑顔を絶やさずにいたい、そう願ってます。
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前回のブログ更新から、はや10日。サンクスギビングからあっという間に一週間が過ぎました。この間、自分は何をしてたんだろう?と、時の流れのはやさにびっくりです。明日から12月、今年も残すところ、あと一ヶ月です。皆さん、どうぞステキなクリスマス・シーズンをお過ごしくださいね。 今日は、夕食後、子どもたちを連れてモールへ。外にNativityセットが置かれてあったので写真を撮ろうとすると、長男はまっ先にらくだにのり、こんな写真になってしまいました。次男には、赤ちゃんイエス様の所に行くようにと言ったのですが、「こわい、こわい」の反応。 「なんでこわいの!イエス様なんだから、こわくないよ」という私の声は届かず。でも、2歳の子どもには、この人の手で造られたものはこわいのかも知れないと後で考え直しました。イエス様の恵みと平安が皆様に豊かにありますように。 アメリカでは、サンクスギビング(感謝祭)はとても大きな行事の一つです。特に家族が集まってターキー(七面鳥)をはじめ、おいしい食事を楽しむときです。私たちはもともとそういう習慣はありませんが、ここはアメリカなので一応、その行事に便乗してともに祝うときをもっています。 ということで、日曜日の礼拝は感謝祭礼拝、神様が恵みをもって天から雨を降らせてくださる方、また実りの季節を与えて下さる方、そのようにして私たちを食物と喜びで満たして下さる方というお話をしました。 私たちは恵まれた時代に生きているので、いろんなことが感謝ではなく、当たり前になってしまうことがあると思います。でも、すべては決して当たり前ではなく、神様から与えられているものです。何よりもまず自分が生かされていることを覚え、神様に感謝したいと思います。このいのち(時間)は、私が何かをして獲得したものではなく、神様からのプレゼントです。一日一日を大切にしたいです。 写真は、礼拝後の持ち寄り愛餐会(昼食)のために皆さんが心を込めて作ってきてくださった料理。伝統的な感謝祭ディナーとは全然違いますが、私はこちらの方が好きです。おいしかった! 今年も、シューボックスにいろんなプレゼントをつめて贈りました。これはサマリタンズ・パースというクリスチャンの団体が、世界の子どもたち(クリスマスプレゼントを受け取ることのできない)に贈るというものです。私たち家族としては、わずか2箱ですが、これを受け取る子がプレゼントを受けることの幸いを知ることをできることを祈ります。そして、クリスマスの本当の意味である、神様がすべての人の救いのために、ひとり子のイエス様をこの世に送って下さったという神様の計り知れない大きな愛を知ることができますように! ヨハネの福音書3:16-17「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである」 今日は私たちの教会主催の感謝祭ディナーが日系コミュニティーセンターでありました。私も日本語部の牧師として前に立ってあいさつをしたのですが、やっぱり牧師をしても、人の前で話すのは緊張します。10数年前までは、それこそ考えられないことを今しています。これもすべて神様のおかげ?と神様の力です。自分の力では決してできません。 さて、今回もやってしまいました。何を?というと、写真を撮るのを忘れてしまったことです。せっかくかばんの中にいれてもっていったのですが、自分のあいさつが終わると、ホッとしたのか、すっかりわすれていました。それと今晩は長男がまた体調が良くないらしく、帰る前に食べたものを全部出したそうです。ここサンタクラリタも数日冷え込んでいるので、彼が寝込むことがなければ良いのですが…。という私も明日は、カマリヨ礼拝、そしてその後、サンファナンドでの礼拝が続きます。体調を整えないとです。それでは… ここ数回の写真を見て、お気づきの方もいるかも知れませんが、わが家のデジカメが最近不調です。何か青色やピンク色がかったような写りになってしまいます。そろそろ買いかえの時かも知れません。今もっているものは、もともと妻が持っていたもので、これまでも新しいのを買おうという話は出ていたのですが、結局、壊れるまでは待とうということに。その時がついに来たのかなと言いつつ、まだ使ってるわけですが、どうなんでしょうね。 このような時には、やはりこの世のもの、人間が作ったものがその時はたとえすばらしく見えても、いつかは色あせ、朽ちていくのだということを強く思わされます。そして、自分自身もです。しかし、聖書は「主のことばは、とこしえに変わることがない」と、神様の変わることのない約束を告げています。その約束とは、たとえ私たちのこの肉体が衰えいこうとも、イエス様を救い主と信じ、望みを置く人は、霊において新しくされ、やがての日には朽ちることのない栄光のからだが与えられ、永遠に神とともに生きるということです。 訪日した際に、おばさんからいただいた鉄板。それで骨付きカルビーをやきました。 この鉄板の良いのは、煙がでない、そして、何と言っても余計な油を落とす穴が中心部分に空いている点です。実にたくさんの油がでるのが、あとで溜まった器を見てわかるのですが、こういうものを食べていたら、そりゃ血管も詰まるわと思わされました。 普段接している人々が、自分よりも年上の方ばかりなので、まだまだ若いから大丈夫などといわれますが、これまであまり健康に気を配ってこなかったので、最近はちょっと恐れをもっています。急に倒れることはないかと…。と言いつつ、ご馳走を前になかなかストップかけられません。つくづく自制のないやつだと自分でも思うのですが、神様の助けをいただいて、少しずつ運動を習慣づけ、食事の量にも気を配るようにしています。自分のためだけでなく、愛する家族と一日でも長く過ごすために。^^ ロサンゼルス空港で 帰宅後、3日が経ちました。現在、家族で時差ぼけ真っ最中です(笑)。 31日(水)の夜に教会でもたれたFall Festival(ハロウィーンに代わるもの)には家族で出かけましたが、旅の疲れと朝晩の冷え込みのため、子どもたち(特に長男)は寝込んでいます。寝ている時は咳がひどく、ちょっと心配なのですが、起きている時は元気。今は遅い夕食を食べています。早く治るよう、お祈りに覚えていただけたら幸いです。 話は変わりますが、日本から帰ってきて、からだが時差ぼけでだるいだけでなく、頭の中もボーとしている感じがします(これも時差ぼけに入る?)。日本とアメリカの環境の違いにまだアジャストできていないようです。このままボーとし続けることがないようにと願ってます。 |
Authorロサンゼルスの最北端の町サンタクラリタに住むキリスト教会の牧師です。一昔前にCOCで学生をしていました。まさか、再びこの地に戻ってくるとは! CategoriesArchives
April 2024
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