今月最初に6ヶ月を迎えた娘。少しずつ離乳食をはじめています。まだまだ食べてるのか何なのかといった感じですが、首を横に傾げたり、頭をかくようにしながら食べてます。ちなみに、トイレトレーニングは、娘ではなく、三男君。この夏で3歳になる彼ですが、日本ではもっと早いのでしょうか?わが家では、3歳を一つの目安にしています。離乳食にしても、トイレトレーニングにしても、彼らの努力というよりも、親(特に母親)の努力が問われます。ということで、ホームスクールをしながら、ちびたちの世話をし、教会でも牧師の妻として、また子ども聖歌隊を私の姉とともにリードし、家のことでもいろいろと忙しくしている妻に、特に今日は感謝の気持ちを表したいと思います。そして、祈り、サポートくださる皆様にも感謝します!
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3月21日から約2週間、家族で訪日してきました。自分が日本である手続きをする必要があったのが、この時期に日本に行かなくてはならなかった理由ですが、ひとりで行くか、家族(6人)で行くのか…。何度もいったりきたりした結果、みなで行くことにしました。というのも、今の時は一度だけ。子ども達もあっという間に成長してしまうので、特に、曾バーちゃんに曾孫を見せるため、また、その他の家族や友人も訪ねたかったので、信仰のステップを踏み出すことにしたのです。残念ながら、今回は東京方面には行くことができず、静岡(妻の親戚がいる)どまりでしたが、与えられた日々を感謝しつつ、時には、疲れ果てながら、今回の旅を終えました。アメリカに戻り、2週間が経ちましたが、やっとみな本調子(娘さんは、まだ若干時差ボケあり)になってきた感じです。この旅のために祈り、サポートしてくれた信仰の家族(クロスウェイ教会)と日本でお会いした皆さんに心から感謝しています。すべての栄光を神様に帰しつつ!
今日の礼拝では、コロサイ人への手紙1章1-14節から「パウロの感謝と祈り」という題でメッセージを語りました。これから約3ヶ月間をかけて、この手紙を見ていく予定です。私たちには、神様のみこころ、また神様ご自身を完全に知り尽くすことはできません。でも、イエス様を信じるところから、神様との歩みはスタートします。そして、日々聖霊様の助けを信じて聖書に聴くなら、私たちは神様のみこころについての知識に満たされるようになり、また、神様に喜ばれる歩み、つまり、善行をもって主に従う歩みをしていくときに、神様ご自身を知る知識が私たちのうちで増し加えられていきます。
先週起こったような熊本大地震やエクアドルでの大地震を思う時、とても心が痛みます。神様がおられるなら、なぜそのようなことが起こるのか?と疑問に思っておられる方も大ぜいいると思います。それがなぜかは私には答えはありません。でも、神様のみこころが、私たちを罪に定め、滅ぼすことではなく、ご自分のひとり子イエス・キリストの十字架の死、贖いによって私たちの罪を赦し、永遠のいのちを与えることであることを知っているゆえに、このことの中にも神様があわれみを示し、助けを与え、ご自身の栄光を現わされることと信じます。被害に遭われた方々のために祈ります。 今日のメッセージはこちらから→クロスウェイ教会 先週の土曜に続いて、今朝も一時間ほど車を走らせて、同じ場所で仕事をしています。というのも、今日は、月に一度の牧師会。 昨日の朝は、時差ボケから解放されたと喜んでいましたが(子どもたちが夜起きなかったので)、でも、今朝はみな午前3時置き。また戻ってしまった(泣)。少しの間、ベッドで粘りましたが、チビ二人が寝ないので、親は眠れず…仕方なく、超早い朝ごはんを食べさせ、その後、みんな寝てくれることを願いつつ、私はオレンジ郡まで来ています。先週の土曜は、ミーティングの途中で眠りこけることもなく、午後まで守られましたが、今日はどうでしょう。訪日の間に溜まった仕事と新しい仕事とで、なかなかハードな毎日ですが、神様に力をいただいて、今日も自分に与えられたことを忠実に行いたいと思います。 写真は、今月2日に6ヶ月を迎えた娘です。ひとりで座れるようになり、また数日前から離乳食も始めました。いつも私たちの家族を覚えて、お祈りと励ましを感謝します!皆様のうえに、神様の祝福と平安を祈りつつ。 今日の礼拝では、マルコによる福音書12章28-34節から、「一番たいせつな命令」という題でメッセージを語りました。唯一である主なる神様を全身全霊をもって愛し、また隣人を自分自身のように愛せよという旧約のことばが引用されているところです。日本では、「愛」は名詞形で使われることが多いと聞いたことがありますが、聖書では「愛」は「愛する」という動詞形で多く使われていると思います。愛を名詞形で使うのは、「好き」とか「好む」といった感情を意味しているからだと思いますが、「愛する」とは、相手へのコミットメント(献身)を意味します。ですから、神様が私たちを愛してくださった(また愛して下さっている)という時、それは私たち罪人(自己中心な者)に対するコミットメントを示しています。そして、その最たるものが、神様をして、ひとり子のイエス・キリストをこの世に遣わし、私たちの罪を贖うため、私たちの代わりに、彼を十字架にかけてさばかれたということです。それによって私たちが赦される道、神の国(天国)を受け継ぐことができる救いの道を備えて下さいました。
ヨハネの手紙第一4:10 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」。今日のメッセージはこちらから→クロスウェイ教会 |
Authorロサンゼルスの最北端の町サンタクラリタに住むキリスト教会の牧師です。一昔前にCOCで学生をしていました。まさか、再びこの地に戻ってくるとは! CategoriesArchives
April 2024
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