明日は教会の礼拝で心の汚れについてメッセージをします。自分の心のうちを見ると、汚れ(黒い部分)がまだまだたくさんあります。でも、その汚れ(罪)をイエス様はご自分が十字架上で流された血潮によって洗いきよめてくださるのです。私たちはこの世にある限り、どこまでも罪深い者ですが、神のひとり子であるイエス様は、私たちが暗闇(死)の中ではなく、光(いのち)の中を歩めるよう導いてくださいます。
イスラエルの二代目の王様ダビデ王が、姦淫と殺人を犯したときに、預言者を通してそれが罪であることを指摘されました。それに対してダビデ王は神様の前にへりくだり、心から自分の罪を悔い改めたのです。その祈りから、「ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。…神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」
詩篇51編より。