今日の礼拝では、第一テモテ6章1-10節から「満ち足りる心を伴う敬虔」という題でメッセージを語りました。私たちは何も持たずにこの世に生まれてきて、また何も持たずにこの世を去るわけですが、聖書は、その後にすべての人は神様のさばきの座につくことが言われています。その時、私たちは自分がこの地上において何を持っていたとか、何を成し遂げたとかと自分を誇ることで、自分の正しさを主張しようとするかも知れません。でも、それがさばきの座であるゆえに、神様は私たちの良いことのためではなく、良くないことのためにさばきを行われるのです。そのさばきが行われる時、あなたは自分の罪・咎のために、神様に対してどう申し開きをしますか? 私たちにできること、それは「神のひとり子のイエス・キリストが、私のために十字架にかかってその罪に対するさばきを代わりに受けて下さった。この方こそ、私の救い主です」と信仰を告白することだけです。ここに本当の救いを見出す人は、主イエスを知っていることで今満ち足りるのです。「十字架による救いで十分です」と、何かを追い求めたり、何かの虜になることから解放されます。主イエス・キリストこそ、私たちに満ち足りる心を与えることのおできになる方です。 今日の礼拝メッセージはこちら→クロスウェイ教会
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Authorロサンゼルスの最北端の町サンタクラリタに住むキリスト教会の牧師です。一昔前にCOCで学生をしていました。まさか、再びこの地に戻ってくるとは! CategoriesArchives
April 2024
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