掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。4 その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。5 私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。6 「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
このコロナの影響で、わが家で土曜の朝に聖日礼拝を録画するようになったこともあって、子ども達の休みは土・日に、私は火曜か水曜に休むことにしました。というのも、私と妻が、礼拝を録画している時に、彼らには部屋で静かに(ビデオでも観て)してほしいからです。また、今はどちらにしてもいっしょに外出(外食)できないので、少しの間、この予定で行こうと思っています(ちなみに、去る二回の礼拝は、家族で動画配信を観ながらささげていました)。
ということで、今日は朝から買い出しに出かけ、いくつかお店をはしごしました。相変わらず、トイレットペーパーなどは売ってないので、主に食べ物ですが、必要なものが買えてよかったです。帰宅後は、子ども達のリクエストで、巻きずし(妻がうどん担当)を作りました。みな、このえび天(わが家の期間限定品)がお気に入りのようです(笑)。そして、夕方には、子ども達の勉強が終わった後、一緒にテニスをしました。昔に比べ、子ども達と遊ぶ時間がめっきり減ってしまいましたが、この時は二度と戻らないので、彼らとの時間を大切にせねば…と、いつも思うのですが、どうしてもそこに一緒にいるだけ、になりがちです。お祈り下さい。
Ⅱコリ3:12 このような望みを持っているので、私たちはきわめて大胆にふるまいます。13 そして、モーセが、消えうせるものの最後をイスラエルの人々に見せないように、顔におおいを掛けたようなことはしません。14 しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。15 かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。16 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
先日無料でいただいたテニスの練習用ボードを今晩組み立てました。雨が続いているので、とりあえず、車を一台外に出して、ガレージ内で組み立てました。試しにやってみましたが、なかなかいいですね。これまたコロナウイルスの関係で、上の二人のテニスの習い事ももキャンセルしたので、ちょうどよかったです。感謝!
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Authorロサンゼルスの最北端の町サンタクラリタに住むキリスト教会の牧師です。一昔前にCOCで学生をしていました。まさか、再びこの地に戻ってくるとは! CategoriesArchives
April 2024
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