今日は、コロサイ人への手紙1章15-23節から「御子とその死によって」という題で、メッセージを語りました。イエス・キリストが歴史上の人物であることは、世界史が証明しているところですが、その死(十字架の死)は、実に謎の多いものでか?「なぜ彼は十字架にかけられる必要があったのか?どんな悪いことを彼はしたのか?」。もしキリストが私たちと同じ人間なら、彼が何らかの理由で十字架にかけられ、死に至ったという事実を理解するのに、そこまで難しくはないかも知れません。でも、今日の聖書の箇所は、そのキリストが神であるというのです。彼は最初に生まれた方、すべてのもの(万物)は彼によって造られ、彼のために造られたといいます。なんとも驚くべきことです。でも、私たちクリスチャンはそのことを信じています。つまり、主イエス・キリストは、まことの神であり、まことの人であることを世界中のクリスチャンは信じているのです。もっというと、神であられる方が、肉体をもってこの世にこられた。それは彼によって造られた私たち(生まれながらに罪を宿すー自己中心性ーゆえに、神様から離れ、滅びに向かっている)を救うためです。私たちを罪と永遠の滅びから救うために、キリストは私たちのいっさいの罪を背負い、身代わりとして神様のさばき(十字架)を受けてくださいした。それによって神様は私たちとの間に和解を生じさせて下さったのです。キリストは死んで葬られましたが、三日目に、予告どおり、よみがえらました。そして、ご自分を信じる者に、罪しと永遠のいのち(天国)を約束してくださっています。 今日のメッセージはこちら→クロスウェイ教会 |